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音楽とコミックのレビューブログ

永田カビ「さびしすぎてレズ風俗にいきましたレポ」

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

新鋭ノンフィクション作家の記念すべきブレイク作。

時は2015年6月。誰かと付き合ったこともなく、性的経験もなければ、社会人経験もない28歳の女性がレズビアン風俗で見ず知らずの女性とラブホテルで布一枚ない姿で向き合っていた。高校卒業後、順風満帆に大学生活を送ろうとした最中、半年で退学し、その後アルバイトを転々としながら、漫画の投稿を続ける日々。そのなかで著者は9年にも及ぶ鬱と摂食障害、両親へのコンプレックス、「馴染めなさ」と「生きづらさ」を抱きながら右往左往する。その最中、自己の「母なるものへの欲求」に気づいた彼女がなにげなく検索にかけた言葉が「レズビアン 風俗」で…。

 自分は性的なことに興味がない /と思っていたけれど、そうではなかった / 無意識にブレーキをかけて、考えないようにしていた /そしてそのブレーキは、母の形をしていた

翌日 / 世界は広くなっていたいけないと思っていた大陸が / 昨夜地続きになったのだ

 デフォルメされたキュートな絵柄に、悪酔いするほどに痛みを帯びた赤裸々でナイーヴな自問自答(「お湯を入れないでカップ麺を食べると口の中が血だらけになる」「母親に尻を見られると興奮する」etc…)が彼女の内面へと切り込んでいく。そのなかで本作は作者の体験談といくつかのテーマが半ばスキゾフレニックに交差する。読者それぞれに共感する部分、興味を惹く部分は異なるだろうが、前半の主題となるのは彼女をレズビアン風俗に向かわせた「自己を決定づける絶対的な指針であり、自身の生を繭のように包み込む母なるものへの(あるいは性的な)憧憬」とそこから生まれる「誰でもいいから抱きしめられたい」という孤独の蓄積だ。その主題を色鮮やかなものにするのは、まだ会ったことすらない文字通りの見ず知らずの他者に溜め込んだ欲望の発露を求めることで生まれた作者自身の変化だ。ボロボロの服をさらさらに着替え、毎日お風呂にも入る。脱毛症の自分の頭を見られたらどんな風に思われるだろうか?という不安に頭を悩ませる。自身の半生を描いた序盤の息苦しさから少しだけ物語が進み、コンプレックスの中で悩む姿は変わらずとも、母というブレーキから指を離しペダルを漕ぎだそうとする彼女の姿が描かれる中盤は随分と微笑ましい。その危うい欲求の顛末はネタバレを避けるために作品の中に委ねるとして、レズ風俗というショッキングな(そしてキャッチーな)モチーフのなかで、作者にとって足枷であったほろ暗い性癖は思いもがけない反転をみせる。

 親不孝が怖くて / 自分の人生が生きられるか!

 本作はそもそも作者のpixivアカウントで発表され、それが注目を浴び、なんなら作者が利用したレズビアン風俗のお店にまで捕捉され、その経緯のなかで出版までこぎつけたという経緯がある。パーソナルな発表の場から不特定多数に読まれ拡散された作品なのである。今までどうしてみんなが生きているのかわからなかった。きっとみんな私の知らない甘い蜜のようなものを舐めているんだ、と思って生きてきた彼女は、まさにその立場から反転して、「誰かに見られる」という甘い蜜を享受する。BLという自身とは無関係な他人事の性から、自分自身の性への反転。フィクションは書けなかったがノンフィクションなら書けるという反転。親の期待に応えられなくてもいいじゃないかという反転…。帯に書かれた「心を開くってどうするんだっけ…」というモチーフはここにおいて「その心のあり方に如何せず、踏み出せば世界は開かれている」というテーマへと反転し、着地する。本作が赤裸々でスキゾフレニックなエッセイ漫画というだけでなく、生々しい魅力で読者を惹きつけ話題を集めるのは、その反転のダイナミズムが生み出す構造のパワフルでリズミカルな心地よさに他ならないのではないだろうか。それは甘美な共感だけではない、雲が晴れるような本作の読後感につながっている。そして、そんな彼女の欲望の反転が生み出すエネルギーは…どうでしょう、個人的にはとてもエロいものだなと思うのでした。