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lost&safe Blog

音楽とコミックのレビューブログ

長井龍雪、岡田麿里、田中将賀「心が叫びたがってるんだ。」

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青春アニメの傑作「とらドラ」「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の中心スタッフ、監督・長井龍雪、脚本・岡田麿里、キャラクターデザイン&作画・田中将賀のトリオによる「3作目」にして初の完全オリジナル劇場映画。

おしゃまで元気いっぱい、でもちょっとそそっかしくておしゃべりなのが珠に瑕な小学生の女の子、成瀬順の住む町の小高い山の上にはお城がある。まるでおとぎ話に出てくるような洋風のお城では毎晩優雅な舞踏会が開かれていて、素敵な王子様が住んでいると信じている。それは誰がどう見てもラブホテルなのだが、幼い順はそんなことは露知らず、山の上のお城の前に佇みながら、素敵な王子様と踊る自分の姿を思い浮かべ、夢に見ていた。そんなある日、山の上のお城からまるで白馬のように軽やかに一台の車が降りてくる。そこには順の父親と見知らぬ女性が跨っていた。「お父さんは王子様だったんだ」!髪が薄くて、お腹が出ていて、でも素敵な王子様!ああ、はやくこの幸せをお母さんに分けてあげないと……!

「この世界で最も重大な罪は、言葉で人を傷つけることだ」。おしゃべりな女の子のなにげない言葉でバラバラになってしまった家族。その重みに押しつぶされ自らを責める順の前に王子様ではなく“玉子の妖精”が現れる。彼は順の罪を攻め、きっとこれからも同じようにそのおしゃべりが原因で不幸な目に合い続けると告げる。そして、そうならないために罰として彼女から言葉を奪うのだった…。

自分の心を言葉で表現しようとすると強烈な腹痛に襲われる疾患を持ったまま高校生になった順。クラスメイトからは「ヘンな子」と疎んじられ、ご近所からは様々な噂を立てられ、生活のため働きに出る母親との関係は壊れたまま。そんなある日、彼女は担任の教師から「地域ふれあい交流会」の実行委員のひとりに指名される。残りのメンバーはチアリーダー部のマドンナ少女の仁藤、甲子園出場を期待されながらも肘を壊して自暴自棄になる野球部のエースの田崎、そして口数も少なく性格も趣味もよくわからない飄々とした坂上。強引な指名に対してそれぞれに戸惑いと拒否反応を示す4人。だが、担任は「今年はミュージカルをやろうと決めているんだ」と取り合わない始末。呆れる実行委員たち。しかし、順は「歌でなら自分の気持ちを誰かに伝えることができるのではないか」と一握の希望を抱いていた。

押し付けられた仕事の気だるさとミュージカルへの期待感に揺れる順。そんなある日、実行委員会議室として使われる音楽準備室の扉を開けると、夕暮れを浴びてアコーディオンを鳴らす坂上がいた。順に見られていることに気づかず、調子の外れた声で即興で歌う坂上。だが、彼の歌は順の過去と心の傷を見透かすような歌詞で…。

 


興収10億円突破の『あの花』スタッフが贈る感動作『心が叫びたがってるんだ。』予告編 - YouTube

 

喧騒に混じって私の残酷な過去が /突然飛び込んできたとしたら

一番正しい行動はどれ? / その場で膝つき泣きじゃくる / 私を認めていいの?

(女王蜂 / 鉄壁)

 

ジョークも感情表現もくどいくらいにえげつなく責める岡田麿里の脚本。キャラクターごとに色を定め、それがアニメーションであるという事実を無視するかのように縦横無尽にカメラワークを振りかぶり、繊細かつエモーショナルな清涼感溢れる映像表現を生み出す長井龍雪。折れそうなほど線が細く、それでいてキッチュ田中将賀のデザイン。三者の強力なバンドワゴンは本作でも魅力的なシーンをいくつも作り出している。突筆すべきは、件の「夕暮れのアコーディオン」だ。あんなものを見たら、だれだってこの出会いが運命と思うに違いない。そして、彼らが扱うストーリーの構造も大きくは変わらない。互いにどこかが欠けている家庭のもとに暮らす高校生が疑似家族的な関係を築いたのちやがて恋人同士となる「とらドラ」や、幼い頃に亡くした友人の存在感の影響下のもと壊れたコミュニティを再生する「あの花」と同じように、本作の登場人物も何かしら何かが失われた状態で現れる。甲子園という目標。中学時代の苦い恋。ピアノ演奏家という夢。それぞれが互いに何かが欠けた状態で物語が始まるのだ。ここで重要なことがある。順だけが「特別に欠けている」わけではないということだ。本作は順が物語の構造のなかで「特別なお姫様」になりかねない展開に合わせるかのように、彼女の「特別でなさ」を同様に提示する。その態度は過去作において物語上の特権的な立場を与えられてきたヒロイン、例えば「みんなで守るべき女の子」だった大河や「永遠に取り戻せない女の子」だっためんまとは違うアプローチではないか。ふと思いつくのは「あの花」のとあるシーンだ。登場人物が過去の喪失に対して隠していた想いをぶちまけるシーンがある。「自分のせいで少女を死なせてしまった」という少年の悔恨と「好きな男の子を取られるのが嫌だった」という少女の嫉妬、常識的に考えるならレベルの違う後悔がフラットに号泣のなかで混じり合うシュールな光景だった。「あの花」本編のなかでも一際異様な一幕は、本作を経た今となってはこう解釈することができるかもしれない。「あなたの悲しみはあなたのものだ。私たちは決定的に理解から遠い他人で、せいぜい互いの言い分を聞いて、なんとなく良い雰囲気のなかで勝手に泣くことしかできない」。

 

血の味がするほど喚いてはみたけれど / なに一つ蘇ったりしないし / 終わったり始まったりもしない

正しさなんて今は何の役にも立たない / 許したい / 認めたい / 自分を愛したいけれど

(女王蜂 / 鉄壁)

 

本作は過去の作品と比べて、「泣き」のストーリーとしての強度はあきらかに(そして恐らくは意図的に)落としている。結末の話をしよう。この物語は囚われのお姫様が彼女を救いにきた王子様と結ばれて終わるわけではない。例えばお姫様を助けにきた王子様の故郷の村に想い人がいれば、王子様を彼女から奪うお姫様の役割は悪役の魔女だ。そう、いつだって、キレイとキタナイは紙一重の場所にある。ならば本作はむしろ、高い塔の最上階に閉じこもり世界を呪う魔女が、呪うべき世界の広さと美しさに立ち尽くし、その輝かしい光景に震える足を踏み出すまでの物語だ。そこには辛い過去を包み込む暖かさだけではなく、爽快感と少しばかりの未来への不安が混じっている。完全オリジナル劇場映画という”トリオ”にとってあまりにも重要な舞台で、彼らは「とらドラ」や「あの花」において最大のテーマであり、これまで一定の成功を収めてきた「コミュニティの結ばれ」という欠けたものを埋め合う関係の形成ではなく、もっと個人的な、自己満足のような感傷に物語の終わりを置いた。それは自らの欠けたものを、これまで傷つけてきたものを、そして他者が決定的に他者であることを、自分に都合の悪いあらゆるすべての物語を受け入れて、前に進むということだ。幼い頃から「言葉」という他者に自分を表現する尊厳を奪われてきた少女の少し先の未来には、頭を殴られるような感動ではなく、ささやかで、しかし驚きに満ちた別の可能性が開かれている。あらゆる意味で出会いと別れのサイクルがあまりに早く、そしてそれ自体が文化となるアニメという磁場において、他に類を見ない強い結束で結ばれたトリオは「外の世界の可能性」にテーマを託し、そのバンドワゴンを守ったまま見事に表現を成し遂げた。ズキズキと痛む裂傷すら愛おしくなる快作である。

 

目を閉じ小さく呟いてみるの / 「なに一つ臆することなどはないと」

(女王蜂 / 鉄壁)

 

 女王蜂 「鉄壁」 - YouTube