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lost&safe Blog

音楽とコミックのレビューブログ

岩岡ヒサエ「星が原あおまんじゅうの森」

 

(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) 星が原あおまんじゅうの森 1

(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) 星が原あおまんじゅうの森 1

 

 

 

 

 「土星マンション」にて文化庁メディア芸術祭の「まんが部門」を受賞した作者による連載。2015年完結。

「星が原」というベッドタウンの片隅には古びた塀に囲まれた緑溢れる雑木林がある。町に住む子どもたちの間で「神様がいる森」「いやそこにいるのはオバケだ」と噂されるその雑木林には不思議な力があった。その森のあらゆる動物や自然はあたかも妖精や精霊のように意思や感情を持ち、それぞれが一様に、表情豊かに話しかけてくるのだ。そんな不思議の森の一角に佇む館にニンゲンに捨てられた一羽の騒がしいニワトリが舞い込んでくる。そこにはスズランの鈴、書斎に立てかけられた古い書籍のモモカといった森の生命たちだけでなく、ある人間の青年が住んでいた。青年の名は蒼一。しばらく前に幸せだった家族を失い天涯孤独となった蒼一は、幼い頃に出会った科子という想い人の女性を待ちながら、ずっと森を手入れしている。しかし、科子は人間ではなく、森に吹きすさぶ自由気侭な「風」だった。どれだけ強く想っても、人間と自然現象の壁は越えられない。そんな蒼一の心の支えになっているのが科子に渡された一枚のスタンプカードだ。誰かのためにいいことをすれば、スタンプをひとつ押す。それを続けてスタンプが溜まれば、蒼一は科子と同じ存在になれる。そんな魔法のような奇跡を信じて今日も仲間たちと共に森を手入れする蒼一。だが、そのスタンプカードには科子にしか知らない、物語の根幹を揺るがす秘密があった…。

あらすじを聞けばヒトと自然の共存の物語にみえるだろう。デフォルメされたまるっこい線と淡い絵柄はその物語の魅力を最大限に引き出している。特に気に入っているのは小学生の洋平くんと小石くん(本当に道ばたで拾った小石なのである)の関係だ。ここ最近のいくつかの作品で見られる「イマジナリーフレンド」というテーマの代表的な例ともいえる彼らの友情はとても微笑ましく、それでいて物語の終盤において感動的な役割をもつ。見事なストーリーテリングだ。エピソード単位だとカラスくんとキラキラしたボタンくんの物語のどんでん返しには笑みがこぼれる。あらゆるものには、幸福な「意味」を見いだすことができる。

だが、同時に本作における「自然」なるものは単に可愛らしいだけでなく、コントロールできない畏れも孕んでいる。例えば蒼一が森の草木を守るため、伸びすぎた枝を切る。そうすると切られた枝は怒りをもって彼に襲いかかる。森の自然にとって、ヒトの手が加わることは(それが良かろうが悪いことであろうが)「異常」なのである。さらに付け加えるならば、穏やかで愛らしい物語を掻き乱す悪意が、本作ではヒトの側ではなく自然現象の側であることも興味深い。彼らの制御できない憎しみや悪意は、私たちが台風や猛暑、あるいは地震を「異常気象」「災害」と呼ぶこととの反転でもある。本作は森の生き物(=私たちが手に負えないと匙を投げてしまう自然現象)に意思を持たせることにより、つい気軽に口走ってしまう「共存」という理想的な言葉の難点を浮かび上がらせるのだ。そしてなによりも、この物語はこの「共存」という難題に対して強い想いをもって乗り越えようとする。そう、この「理解できない他者と向き合う」という姿勢は、間違いなく本作を単にエコロジカルでオーガニックな逸話集だけに留まらせず、感傷的なラブストーリーとしての魅力を底上げしている。5巻という短い作品で、かつ実は作中でそれほど離れた期間はなかったにも関わらず、蒼一と科子の並ぶシーンが常に特別なものに思えるのは、彼らの立ち振る舞いの清潔感からくる好印象だけでなく、彼らの慕情が「理解できない他者と向き合う」痛みを引き連れた狂おしいものだからであろう。誰かを、なにかを想う。愛する人のそばにいたい。大切な人の幸せを強く祈る。御都合主義ともとれる本作のラストは、隣人の痛みを自らの痛みのように思い、その腕で包み込む優しい想像力を全身全霊で肯定する。柔らかなタッチに様々な物語を内包した、豊かな語り口を持つ意欲作だ。

 

 

というわけで、森は生きている、のでございます。