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音楽とコミックのレビューブログ

cero「Obscure Ride」

 

Obscure Ride 【初回限定盤】

Obscure Ride 【初回限定盤】

 

 

日本の3人組+サポートメンバー2名による3rd。"Contemporary Exotica Rock Orchestra"から"Contemporary Eclectic Replica Orchestra"へ。

ディアンジェロの地を這うようなドロドロとしたファンクネスを意識した、あるいはパロディ化したような冒頭から、このアルバムが現在の日本語ロック、あるいはJ-POPの文脈から大きく外れていることがわかる。これまでの「日本の上質なポップス」の継承者たる彼らの魅力は本作ではあえて破棄されているが、(世界的に見ても)誰よりもいちはやく「ブラックメサイア」に反応し、そのディープなリズムを日本語の響きと「折衷」したceroのサウンドは、海外の最前線のレコードと比べるまでもなくオリジナルに破格で濃厚なクオリティを手にしている。「Yellow Magus」のシングルとアルバムのバージョンの違いを比べたらすぐにわかるだろう。高城のヴォーカルからは少年のようなか弱さは消え、演奏はあきらかに重くなっている。そんな黒い霧のごとく濃厚なリズムが包み込む作品を支配するこのアルバムを彼らは「曖昧(オブスキュア)」と名付けた。その意味合いは黒人音楽を黄色人種が鳴らすことへの負い目や自信のなさへの自虐、あるいは妥協という単純なものではない。完成度の高いブラックミュージックは目的でなければ、ましてや「私たちの鳴らす音楽は他とはひと味違う」というスノビズムなどでもない。サビとメロの境界線すらも「曖昧」なドロドロとした平坦なリズムは、あくまで表現を成し遂げるための手段であることを意識しなければいけない。

 

いいところだよ / その気になりゃ死人だって騒ぎだす

何かを忘れ / 何かを思い出す / それを繰り返し続ける / Driftin'… 

 

前作は未曾有の災害と、震災以後の空気をくみ上げたファンタジックで誇大妄想的な叙事詩プログレシッブ!)だったが、本作では全体を通したテーマも歌詞のつくりも心情と風景の境界線が「曖昧」で極端に掴みづらく、音楽に対して感傷を求めるリスナーを突き放したところまできている。だが、「暗がりを見つめる」「死の匂いを常に意識する」「声にならなかった失われた声を聴く」「ここではない別の世界を見つめる」という1stのころから見られる態度は残っている。いや、本作で彼らは私たちの身の回りの半径や共感を飛び越え、「生と死の営み」の深みへと飛び込むことに挑戦しているのだ。「日常」と「非日常」の境界線を溶かす。「生」というこちら側と「死」という向こう側を「折衷」する。「オブスキュア・ライド」。ディアンジェロが「ブラック・メサイア」に「不正に決起するすべての黒い救世主を讃え、私たちのそれぞれが黒い救世主になるように促す」というテーマを込めたように、ceroもまた本作に「つねに私たちの生と隣り合わせにありながら、意識されずに放置される死者の声に耳を澄まし、目を逸らさず纏う」ことの宿業を刻んでいる。それはおそらく、随分と嫌なことを忘れることの巧い私たちが安全装置のように使っている「忘却」という仕組み(私たちが「忘却」することで何から逃れようとしているか、までは本稿で簡単に結論づけるべきではないだろうが)への抵抗だ。ceroはその重みを、日常の機微やファンタジックな物語に頼るのではなく、禅問答のように私たちに問いかける。本作は(これまでのceroの作品のように)リスナーにとって胸が躍る物語でなければ、癒しになるものではない。だが、自ら名付けた「エキゾチカ」というどこか他人行儀なバンド名を脱ぎ捨てた彼らは本作でそこから先へ踏み込んだ。「忘れ去られる死を想え」という彼らの言葉に気付き、どれだけ問題意識をもって真摯に耳を傾けるかはあとはリスナーの宿題なのである。

 


cero / Orphans【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 - YouTube