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音楽とコミックのレビューブログ

SAKEROCK「SAYONARA」

 

 

SAYONARA

SAYONARA

 

 

00年代から現在までを駆け抜けた、「5人組」インストバンドの最終作。音楽はフィクションか、ドキュメンタリーか。

2011年の田中馨の脱退以降、昨年発売のベストアルバムを除いては動きがほとんどなかったサケロック。病気療養から命からがら復活し、本格的な活動を再開させた星野源。在日ファンクのフロントマンとして話題を振りまき、性格派俳優としても大成しつつある浜野健太。細野晴臣のバンドメンバーに抜擢され、自身も奥田民生岸田繁とともにサンフジンズを結成するなど充実の一途をたどる伊藤大地。それぞれの活動が慌ただしくなる中で、リズム隊の片翼を欠いたサケロックが、どうしても新しい動きに踏み込むことができなかったというのは想像に難しくない。そんな環境の変化の中で、サケロックを志半ばで中途半端に放置するのではなく、オリジナルメンバー全員で完結させるという意思のもとで作り上げられたのが本作だ。そこには先述の田中のみならず、バンドの創始者の片割れである野村卓史も参加している。田中の人間味溢れるたおやかなベースライン。伊藤のシンバルの軽やかさが印象的な歯切れのいいドラムス。清涼な空気を生み出す野村のキーボードの調べ。「メインボーカル」たる浜野のトロンボーンは、これまでのような頼りない印象はすっかりなくなり、地に根を張って声を張り上げている。そして、それを取りまとめるリーダーの星野源。5人が揃った。それぞれがそれぞれのフィールドで成長し、最高の状態でサケロックという原点に帰ってきた。その一方で、「Memories」や「Ballad」という、これまでに比べてストレートな意味合いを持つトラックは、やはりこれまでになく大人びていて、ストレートに胸に染み渡る切ない響きを持つ。これまでの彼らの主題であったパーティやコメディといったいたずら好きな陽の要素は最終作たる本作では主役の座を譲り渡しているのだ。

本作はあまりにも感傷的なアルバムだ。星野源野村卓史がバンドメンバーとして声をかけた高校時代の同級生たちは、それぞれ一流の表現者になり、日本のポピュラーミュージックの未来を背負う演奏者になった。最初の作品と比べても、そのサウンドの密度と緊張感は格段に上がっている。繰り返しになるが、これは日本を代表するプロフェッショナルたちが手を取り合い生み出した、極上のインストゥルメンタル・アルバムである。しかし、このままサケロックを続けると、かつての彼らの最高の武器だった、聴き手の生活や良心的な感情に寄り添うローファイな精神は失われたかもしれない。はにかんだ脱力ものの演奏で私たちに笑顔を振りまいたサケロックはもういなくなったのだと、落胆したかもしれない。いや、今作においても、これが最終作だというメランコリアによって、かつての彼らが持っていた幸福な空気感がギリギリで担保されているにすぎない。そうなると、もはやそこで鳴っているのは音楽だけではない。このアルバムは聴き手と作り手、そしてサケロックを取り巻く様々な人々の感傷によって作り上げられているのだ。しかし、その感傷がサウンドの本質を歪めたり、不自然なものにしているという批判をしたいわけではない。むしろ、否応なく私たちの心に押し寄せる感傷は、インスゥルメンタルという個々人や置かれた環境により意味合いが変わる音楽をひとつの線に繋ぎ、そのエモーショナルな魅力を魔力的に高めている。

タイトルトラックの「SAYONARA」のPVにおいて印象的な瞬間がある。演奏の終盤、バンドの初期において星野と衝突し、後ろ髪を引くように脱退した野村が満願の表情でキーボードを叩く一方で、その穴を埋めるために抜擢された浜野がどこか寂しそうな顔で陽の光を浴びる。そのとき、フィクションとドキュメンタリーの狭間は溶解し、感情が溢れてくる。男たちの別れとは、演奏者にとっては振り返らず前に進まなければいけない苦い今日であり、私たちにとっては美しくも儚い(そしてすこしばかり都合のいい)物語なのである。音楽には夢と現実という創作の境界線の狭間に立ち、ときにその境界線を超えていく強烈な力がある。音楽が音楽のみを超えて、感情の高みへとたどり着く。それは空中分解しかけたサケロックを投げ出さず、5人揃って完結させるという難しい決断をした彼らが成し遂げた到達点である。

 


SAKEROCK / SAYONARA 【Music Video】 - YouTube