lost&safe Blog

音楽とコミックのレビューブログ

松島直子「すみれファンファーレ」

 

すみれファンファーレ 1 (IKKI COMIX)

すみれファンファーレ 1 (IKKI COMIX)

 

 

 

すみれファンファーレ 5 (IKKI COMIX)

すみれファンファーレ 5 (IKKI COMIX)

 

 

松島直子によるデビュー長編。 一話完結のハートフル・エピソード集。

川畑菫(すみれ)ちゃんは眼鏡がキュートな心優しい10歳の女の子。両親が離婚して、お母さんとふたり暮らしでたくましく暮らしている。好きなドラマは「相棒刑事」で、将来の夢は「小説家」。そんなすみれちゃんが出会うのは、女手ひとつで自らを育てる母、遠い場所で新しい妻と暮らす父、その父を愛する新しい妻、家庭教師のお兄さん、引っ込み思案で友達ができなかったクラスメイト、病院で居合わせた患者の女の子、アルコール依存症になってしまった父を持つ男の子、異国からやってきた素敵なボーイフレンド…。様々な出会いのなかで、感受性豊かなすみれちゃんは、誰かと出会って、その誰かの物語にいつだって笑って、涙する。そしてすみれちゃんはおんなじように彼らに暖かい涙と笑顔をお返しするのである…。

 「私たちは壊れている」、というのはマンガに限らず、昨今のポピュラーカルチャーにおいて少なくはない作品に根付きはじめている感覚のように思える。この感覚は、ナードカルチャーを中心に、フラットで、自由で、どこにでもいける、”私たちの”インターネット文化が一定の成功を収め、多幸感と開放感に満ちていた頃からの反転でもある。それは震災以前/以後とでピンをさすことができるし、もっと踏み込めば震災が浮かび上がらせた不具合ともいえるだろう。私たちは同じ土地にいるけれど、別の場所にいる。ここは日常だけど、向こう側は被災地である。そう、震災によって、ポピュラーカルチャーの受け手として強烈に意識させられたのは、「私たちはフラットである」という幻想の崩壊だった。だがそれでも、幸福だった”私たちの”文化を以前と同じように幸福なものにするためには、壊れてしまった幻想を幻想のまま担保しなければいけなかった。ザイニチには悪意じみた正論を、ホモには嘲笑を、チュウガクセイアイドルにはヘリウムガスを。もはや、愉快なお祭りを共有できればなんでもいい。そんな壊れた幻想を守るための壊れた倫理観に対して生まれたのが、「私たちは壊れている」という疲弊した醒めた目線ではないかと考えている。

さて、「すみれファンファーレ」である。あらすじをみればわかるように、これは子ども特有のかわいさを大人が愛でるという構造の作品である。しかし、例えば「母のない子」という共通点を持つ「よつばと」のよつばと同じ高さの目線の作品に見えても、すみれの目から見える世界はよつばのそれとは全く違う。よつばの世界は”あらかじめ失われた”彼女を守るようにいつだって輝いている。世界は、いつだってワクワクと冒険に満ちあふれているのだ。一方で、すみれが持っているのは、壊れた世界で「それでも、生きていく」ために必要な宝物を掬いだそうとする瞳だ。確かにすみれは嘘のように良い子である。その”嘘のように”の部分にしらけてしまう読者も確実にいるだろう。だが、そんなすみれを世界の側がめざとく包み込み、守る訳ではない。むしろ、すみれを取り巻く世界は一歩間違えれば彼女の心に癒えない傷をつけるような、複雑で、ナイーブなものである。しかし、彼女はその豊かな感受性で世界の側を包み込んでいく。そんなすみれの聡さに、大人たちや級友といった彼女を取り巻く世界のほうが守られ、修復されているということが重要なのだ。

壊れた幻想を守るための壊れた倫理観のなかで、「まとも」にあるためには果たしてどうするべきか。本作の穏やかで優しい世界観に読者は頬を緩ませながら、その陰には「私たちは壊れている」という視線が潜んでいることも同時に心に留めておかなければならないのではないだろうか。